何か違う。
俺の人生ってこのままでいいの?
若い時にサラリーマンのくたびれたオッサンを見てこうはなりたくないと思っていたのに、今の自分はまんまあの時見たオッサンと同じじゃねえか…
自分を変えなきゃ。このままの生活が続くなんてまっぴらだ。
でも、具体的に何をすればいいのか分からない。
情報を集めて何をすればいいか分かっているのに気づけば何年も変わらないままの自分がいる。
このままだとヤバイんじゃないか?このまま生きていて本当に大丈夫か?
年を取ってくるとそんな焦りや不安が高波のように押し寄せてくると感じる瞬間があるのではないでしょうか?
結論から言うと
ノウハウや情報、凄い人や師匠みたいなものに頼ることなく結局は自分の頭で考え、決断して、行動・アウトプットし続けるしかないこと。
それらに対して他人から評価を受けること、その評価から逃げないこと。
ダメな自分を否定し、現実の自分を正確に把握すること。
ここらへんを腹の底から理解できたときに焦り、不安が小さくなって俺でもやれるんじゃないかって思えた。
学生時代は未来に対する漠然とした期待、希望があった。
働いて、自由に使える時間とお金が増えて、遊んで、欲しいものを買って、恋人ができて、ゆくゆくは結婚して、子どもが生まれて…
大金持ちやプロのスポーツ選手のようにはなれないにしても、人並の生活を送ってるんだろうな。
きついことやしんどいこともあるだろうけど、人並の幸せ・満足感は得られているんだろうな。
しかし、大人になって実際に社会に出てからはどうだろうか?
満足できない、現実に絶望する、会社にほとんどの時間を奪われている、お金が足りない、彼女を作る余裕もない、このままじゃ結婚なんてできるわけがない。
外側にある何かに人生を決められている感覚、そこには夢見ていた理想の社会人生活は1ミリもない。
楽しい、幸せだと感じる瞬間も少しはあるかもしれないけど大部分はまるで刑務所にでも入っているかのような閉塞感。
何とかしなきゃヤバイ。この生活が後何年続くんだ?本当に俺の人生これで良いのか?
学生の頃は何をしなければいけないのかが明確だった。
小中高と私は勉強と部活に打ち込んだ。
それさえしていれば生きていけたし成績が良ければ周りの人間が褒めてくれたり、「勉強して大学を出て会社に勤める」というレールに乗っかってさえいれば何とかなる、それなりに生きていけるという先生や親から植え付けられた漠然とした希望があった。
覚えている限り、通知表の数字は5が多かったし勉強を苦に思うことはほとんどなかった気がする。
他人に迷惑をかけないことや先生の言うことを聞くことが正しいと思っていたから問題を起こすこともほとんどなかった。
何の自慢にもならないけど塾に行かずに偏差値60くらいの国立大学に合格した。
「大人しい」「大人に従順」「勉強ができる」っていうので小中学生の頃はヤンチャなグループからは軽いイジメにもあったりしたけど。
小学校や野球、中学校はテニスとバスケ、高校からはバスケ1本とスポーツに打ち込んで。
上手くなったり、試合に出れるようになったり、試合で結果を出していくことは楽しかったし、補欠からレギュラーを掴む・出来なかったプレーが出来るようになることには喜びや達成感があった。
俺はもしかしたらプロ野球選手になれるんじゃないかとか、プロのバスケ選手になれるんじゃないかみたいな現実が全く見えていない夢を見ることもあった。
高校生にもなるとさすがにプロのスポーツ選手になれるなんてほとんど思わなくなってたけど。
(高3のときに一瞬、バスケの専門学校行ったらプロの可能性があるんじゃないかと頭にちらついたのは内緒。)
そこから大学生になって20歳前後になってくると何となく将来のことを考えはじめて。
俺はこれからどうやって生きていくんだろう、何の仕事をしていくんだろう、大人になって社会に出たらどんな生活になるんだろうみたいなことが思い浮かんできて。
高校生までだと遠かった社会人になるっていうことが急に近づいてくる。
将来、この仕事を絶対にやりたいとか、こんなふうに生きてみたいなんてことを考えたことがなかった私にとっては本当に急に感じた。
大学生になってバイトで働いて給料を得るという体験を初めてしたのもきっかけの1つだったと思う。
長時間拘束される、怒られる、ミスをして凹む。その対価としてお金を貰う。
ただ、当時の私は「所詮バイトだろ?このままバイト先に就職するわけじゃないし、就職したらバイトのときよりは稼げるようになるだろうし、何とかなるだろ」という舐め腐った、楽観的な考えだった。
親元から離れて生活していくなかで将来どう生きていくかが頭にチラつきだして。
何となく入った法学部の講義に出ても、この勉強って就職してから使うか?学んでて面白いとも思えない。
そりゃ弁護士とか行政書士なら使うだろうけど、なりたいと思えないしなあ。
それまで勉強すれば良い人生が送れるっていう常識、親や教師から受けてきた洗脳でしか勉強をしてこなかった私は勉強に対する意味を完全に見失ってしまった。
それまで勉強し過ぎて燃え尽きたってのもあると思う。
そこから大学にもほとんど行かなくなってネットや図書室で情報収集をしていた。
偉人や起業家の多くは大学を中退しているとか、プログラミングを勉強すれば手に職で失業しないとか、株式投資をすれば自分じゃなくて資産が働いてくれるとかネットや巷のビジネス書に書いてある薄っぺらい情報をつまみ食いしてた。
大学の勉強って意味なくね?だったら社会に出てから役に立つこと勉強したら良くね?っていう思考で世間を何も知らない、働くことについて何も知らないただのガキンチョが浅はか過ぎる視点でウダウダと人生を模索していた。
今振り返ると、大学生の頃には「良い子」だった反動もあるかもしれない。
親や先生といった大人に従うこと、逆らわないことが正しいと思っていた。
私の子ども時代を知る人は「大人しくて良い子で優しくて頭が良かった」「品行方正だった」っていう評価が多いし、ヤンチャとかグレていた子どもだったと私を言う人は多分一人もいない。
それが大学に入って親元を離れて一人暮らしして先生や親の管理から離れたり、毎日同じメンバーでのクラスでの集団行動がなくなって時間割も自分で決めなければいけない。
高校までは集団・大人が常にいる環境だったけど、大学からは個人行動が主で遅刻しようが留年しようが自己責任。
何かから解放された感じで「俺は周りの人間とは違う。何も考えずに大学行ってるやつよりも優れたことが出来るはずだ」みたいな自分は特別だってことを感じたかったのかもしれない。(振り返るとマジでキモイし恥ずかしいですけど。)
大学を辞めそうになり、親や友人の説得もあって何とか卒業はしたけど。
就活なんて茶番だろ?良い会社に入るとか、入らないで人生決まらないだろ?っていう捻くれた、舐め腐った思考をここでも発揮して面接の準備とか自己PRの内容を一切考えないままテキトーに就活して受かった地元の中小企業に就職。
(上場企業も何社か受けたけど、ほとんど準備なしで就活してたから受かるはずもなかった。
高い学費を払って仕送りもしてくれた親にはホントに申し訳なかったって今でも時々思う。)
そんでいざ、正社員として働くってなったら
マジで絶望しましたよ。ええ。
仕事じゃなかったら絶対に関わりたくないと思う皮肉や嫌味を言いまくってくる、怒鳴りまくってくる上司。
仕事も死ぬほど面白くない。やりがいを一切感じられない。一日が永遠に感じるほど長く、気が狂いそうになる。
週5~6日8時間みっちり、残業があればそれ以上働いて振り込まれる給料は20万にも満たない。
良くしてくれる上司や相談に乗ってくれる先輩もいたし、多分入った会社が悪かったのもあったけど。
俺はこれから何十年もこんな生活をしていくのか?ずっと会社の奴隷なのか?ってゾッとした。
そこから脱出するためにビジネス書や自己啓発本を読んだり、会社員以外の生き方を探して。
資格を取るとか株や不動産に投資する、せどりや転売で稼ぐっていう情報もあったけど全部しっくりこなかった。
自分で商品を作る、値段を決める、他人の問題を解決してその対価をお金を貰う。
それをインターネット上でやるビジネスモデルで起業する。
これなら自分にも出来るんじゃないか?と思ったし、しっくり来た。
働きながら起業のための勉強や作業をしていたけど、時間が足りなすぎる、気力・体力のエネルギーの消耗が激しすぎるという理由で会社を辞めた。
最初は会社辞めてマジで最高!もうクソみたいな仕事をしなくて済む、クソみたいな人間と関わらなくて済む。
そう思ってビジネスの勉強や作業に集中できていたけど、数か月経ったころ気づいた。
「ヤバイ、お金がない」
大人になれば親が払っていてくれた携帯代や生活費を自分で払わなければいけない。
学生の頃は免除されていた税金や年金も払わなければならない。
「オマエ、もう大人だよなあ?社会に生かしてもらってるんだよなあ?だったらその金は自分で面倒見るべきだよなあ?社会を維持するための金も払わないといけないよなあ?」
そう言われている気がした。大人になれば息をしているだけでお金を払わないといけないんだって。
あれほど文句を言っていた会社という枠組みに私は守られていた。
経済面もそうだし、正社員というだけで最低限の世間体も保つことができる。
起業に挑戦しているとは言っても傍から見ればニートに過ぎない、無職の青年でしかない。
おいおい、社畜が嫌すぎて起業っていう道を選んではみたけど本当に俺はこれで生きていけるのか?
ちょっとこの前まで学校のお勉強しかしてこなかった世間知らずのガキに一体誰がお金を払うんだよ?
会社員という生き方から逃げたくて起業という世界を覗いてはみたけど今度は別の不安、焦りが押し寄せてきた。
やるべきことは分かっているのに焦り、不安から手につかない。
バイトをしながらちょっとだけ勉強、作業をしてすぐに休憩。
1年くらいして「このままだとヤバイ。確かに使える時間は増えたけどお金が足りない。いつまでもバイトしてる場合じゃない。もう一回働くか」と再就職した。
今度の会社はミスしたり、怒られることもあるけど仕事に面白さ・やりがいを感じることができたり。
上司は厳しいときもあるけど筋が通ったことを真っすぐ言ってくれるから納得できる。
給料は少ないけど続けていくことはできる。
けど日に日に「やっぱり会社員じゃ使える時間もお金も限界がある、少なすぎる。社畜っていう生き方だと結局どこに行っても同じだ。不自由な人生しか待っていない」っていう思いが強くなっていった。
不安、焦りを前にしたとき出来ることは2つだ。
何もしないまま逃げるか、行動を起こして立ち向かうか。
後者の何もしないまま逃げる選択をするとやる気を失う、腐っていくことが多い。
俺には無理だよ、やっぱり常識・当たり前に従っておくほうが楽だし安定だと一時的には思っても不自由を強いられて満足できない生活に耐え続けることができるだろうか?死ぬまでずっとこのままでいいと思えるだろうか?
現状を変える可能性がある選択肢があるのに、それをチラチラと横目で見ながら変わらない日常を本心に蓋をして送り続けることができるだろうか?
行動を起こして立ち向かわなければ現実が変わることはない。これまでと同じ絶望がこの先も続くだけ。
ただ、それが出来たら苦労しない、簡単ではない、キレイ事だというのも分かる。
常識から外れるとき、新しいフィールドで勝負するとき情報やノウハウといったものは確かにあるけど、それを理解して結果が出るまで行動し続けるのは相応の忍耐力、根性も必要だろう。
特に結果を出している人間の過程や成功例と失敗例を見たときに俺も出来るというよりは俺には出来ないと感じることのほうが多いのではないだろうか?
この人、ココまでやってるのか…食う時間と寝る時間以外の全てを注ぎ込んでるのか…
この人、今の知識を得るために何百万円使って勉強してるんだ?
この人、成功するまでにこれだけ借金抱えてたのか…
成功者が辿ってきた過程を見ると道のりが果てしなさすぎる。
夢や理想、目標を立てたはいいけど本当に俺も出来るのか?
そこで私は何年も足踏みして止まってしまった。
過去を振り返って後悔しているのは私が頭でっかちだったことだ。
情報を得ること、失敗しない方法、絶対に成功するノウハウを探し続けていたことだ。
アウトプットが、行動が全然足りていなかった。
確かに情報やノウハウは「別のやり方があるんだ」「俺にもできるんじゃないか?」「あの人みたいになりたい」という夢や理想、希望を見せてくれる。それが変わるきっかけ、モチベーションになってくれることもある。
私もそれなりに本は読んでいるし、数万円・数十万円する情報商材を時には借金をしていくつも購入してきた。
ただし、本や教材を読む、書いてあることを理解する、俺も変われるんだ!と興奮するのは全て自分の中だけで完結する作業であり行動のきっかけにしか過ぎず、現実が動くわけじゃない。
現実が動くのは、変わるのはいつか?
それは行動したときだけだ、アウトプットしたときだけだ。
もっと言えば、それが他人に評価されたときだけだ。
恋愛ノウハウを読み込んだは良いものの、実際に異性を前にすると何も話せない。
バスケノウハウをたくさん勉強したけど、試合になると何もできない。
部活に入ってすぐにレギュラーになって活躍できるんじゃないかと思っていたら上級生や周りの人間のレベルが高くて下から数えたほうが早い、俺はなんて勘違いをしてたんだ・うぬぼれていたんだと感じる。
新しい職場でそれなりに出来るはずだと思っていたらミスを連発して怒られまくる。
合コンで上手く話せたと思っても女の子から連絡が来ない。
そんな経験をしたこと、ありませんか?(私は全てあります。)
実際に行動を起こさなければ現実は変わらないし、いくら自分は出来る・能力があると思っていてもそれが他人に評価されなければただのゴミ。
その失敗から学ぶ、他者からの評価をもとに自分を修正する。
それらの行動・アウトプットこそがあなたの現実を直接変えてくれる。
私は学校の勉強は出来るほうだったと思います。
しかし、学校の勉強のほとんどはあらかじめ用意されたやり方・答えを如何にしてたくさん覚えるか?という暗記ゲームの側面も強い。
自分の外側にある既存のもの、決められたレールをひたすら頭に詰め込む作業が多いのが学校の勉強。
しかし、大人になって社会に出て必要とされるのは自分の頭で考え、決断する能力。
誰も正解を教えてくれないし、間違いだとも言わない。
自身の選択を正解にしていくことが求められる。
私は人生を学校教育の枠組みで捉えていた。
皆と同じ教科書を与えられて、そこに書いてある答えを他人より多く覚えれば満足できる人生が送れるのではないか?
分からないところがあれば親や先生のような人に教えてもらえるのではないか?絶対的な答えが存在するのではないか?
だからその答えを探すことに労力をかけすぎていたし、与えられた答え以外のことを自分で考え、実行しなければならないとなったときに焦りや不安に負けて行動できなかったんだと思う。
若い頃や数年前に未来の自分について何となく考えたことはあるはずだ。
このまま仕事を続けて、彼女が出来て、趣味や遊びもほどほどに楽しんで、結婚して…
人によって何をしたいかは変わるだろうけど、「こうなりたい」という未来予想図を描いたことがあるはず。
あなたに聞きたい。
その未来予想図は叶っただろうか?思い描いた未来が現実になっているだろうか?
ほとんどの人はそうはならないだろう。
現実は未来予想図通りにならない。
今の自分のままで何とかなると思っているからかもしれないし、頑張っても無駄だ、失敗やリスクが怖いと思っているからかもしれない。
誰かが敷いたレールに乗っかっているだけで選ぶことはできるけど選択肢が限られているとか、決断した後の展開が既に決まっていてそれを延々と繰り返すだけになるとか。
年齢を重ねるうちに外側から選択を強制されることが増えていく。
自分の意志はあるのはあるけど、年齢や環境、世間体などから妥協して限られた選択肢から何か選ばされるみたいな。
そんな中で何か人生が変わりそうとか、鬱々とした気分が晴れてやるべきことに集中できてるとか。
そういう時にあったものは結局、行動・アウトプットだったと思う。
それもただ漠然とした行動、アウトプットじゃない。
結果が出るまで継続した、1日何時間もそれに向き合った、勉強代に数十万円払って引くに引けない、全く上手くいかなくて鳩尾がギュッと締め付けられるような焦り、こんなことやってて本当に大丈夫なのかという吐き気を催すほどの不安、オマエに時間や金を払う価値ないよとハッキリ言われるような残酷な結果を突きつけられる。
挫折したり、何も手につかなくなったりもした。けど、その中でも少しずつやり続けた。
逃げた期間もあったけど、最後はやっぱやるしかねえと自分のケツをぶっ叩いた。
そしたら、少しづつ結果が出てきた。
結果は出なくとも成長を実感できた。
プロセスを楽しめるようになった。
自分を変えることができるんじゃないか?人生を変えることができるんじゃないか?と心の底から思えた。
それらはこれまで私が知っていた努力のやり方とは毛並みが違う、異なるタイプのものだった。
誰かや教科書にあらかじめ書いてあることを覚えるんじゃなくて自分の頭で考え、決断し、行動する。
無料の情報、数千円の安い情報じゃなくて数万円、数十万円の情報を買う。
本を読んでウダウダ考えるのではなく、行動を起こして、その行動を他人から評価される・値札をつけられる。
ただ勉強するとか、暗記するとか、理解しようとするだけじゃなくて答えを自分で探す、自分の頭で考える、痛みを感じるほどの身銭を切る、失敗するか成功するか分からない状況でもまずやってみる、その行動を他人に評価してもらう。
情報やノウハウをインプットする、勉強する、理解しようとすることも確かに重要だ。
何をすれば成功するのか、成功者はどんな考え方・やり方をしているのか、これをやって成功しないなんてありえないなどの努力の方向性が分かったり、不安や焦りに押しつぶされずに進むための精神安定剤のような効果もある。
けど、いざ行動に移せば全然できない、上手くいかないことにすぐに気づく。
絶対に成功するノウハウなんてないことに気づく。
絶対に抜けるドリブルと謳われたテクニックを反復練習しても、いざ試合になったら、ディフェンスが上手い選手にマークされたら全然抜けない。
合コンの立ち回り方、女の子の口説き方を一生懸命覚えても合コンが終われば誰からも連絡が来ない、女の子に引かれる、フラれる、拒絶される。
本や教材、ノウハウなんてものは
始まりの始まりにしか過ぎない。
結局は自分の頭で考えて、行動して、フィードバックを得て、また考えて行動してを繰り返すしかない。
それを繰り返して自分のスキル、知識のレベルを上げて成長していくしかない。
それまでに私がしてきた努力は既に存在している答えをどれだけ覚えることができるか?
他人が考えた答えをどれだけ理解することができるか?という種類のものだった。
自分の中だけで完結するし、この答えを覚えろ、この公式を使えとやるべきこともあらかじめ決められている。
学校のテストの点数が悪くても人格・存在を否定されるわけじゃない。
勉強やスポーツで劣っていたとしても学生という枠で一括りにされて明確な差が生まれるわけじゃない。
しかし、学校という守られた枠組みから社会に出た瞬間、自分自身でどう生きていくか、何を学んで何を学ばないのか、誰から学んで、誰から学ばないのか、何をして何をしないのかを決断して人生を切り開いていく必要がある。
そこにはみんな同じように配られた教科書もないし、攻略本もない。親や教師、凄い人が現れて助けてくれるわけもない。
仕事をすれば色んな人と関わる。上司や同僚、部下がいて顧客が取引先がいる。
そこである程度の結果を出せなければ上司から詰められたり、クレームになる。
学校の勉強のように自分の中で完結するのではなく、自分の外側に現実が発生する。
有能、無能、モテ、非モテ、金持ち、貧乏など明確に差が生まれてラベル付けされる。
オマエと付き合うメリットは何?オマエに時間や金を使う価値あるの?とシビアに値踏みされる。
それまでどれだけ頑張ったか、どれだけ勇気を振り絞ったかなんて評価されない。
結果がゴミであればゴミだとハッキリ提示される。
残酷だ。
しかし、その残酷な他者からの評価があるから、外側に現実が発生するから自分が何者なのかがクッキリと浮かび上がってくる。顔から火が出そうなほどの恥をかきながら、焦り、不安、悔しさ、怒りを感じながら。
俺に出来ることは何か?出来ないことは何か?
何を変えなければいけないのか?
どこまで自分でやるのか?どこから他人の力を借りるのか?
何をして、何をしないのか?
自分の時間の価値はいくらなのか?
この勉強、この作業に価値はあるのか?
行動を起こす、アウトプットする。
それを他人に評価してもらう。
一生分の勇気を振り絞ってナンパしてみてもゴミを見るような目で睨まれてシカトされる。
自分は会話が盛り上がっていると思っていても相手は合わせてくれているだけで内心クソつまらないと思っているかも。
そうかと思えば話をしてくれる子がいたり、脈なしかと思っていたけど結果的に付き合えたり。
自分が得意だと思っていることが評価されないこともあれば、コンプレックスに感じていることを褒められる。
営業をすれば誰も話を聞いてくれない。買ってくれない。高いと断られる。
そうかと思えばトントン拍子で契約してくれる客もいる。
文章を書いても誰も見てない。誰も反応してくれない。意味が分からない・オマエはバカかと誹謗中傷を受ける。
その一方で私の書く文章によって「成果が出ました」「タメになります」と言ってくれる人がいたり。
それらは全て他者に何かを与える行動を起こして、自分に対して評価・値踏みをされた結果だ。
その評価、値踏みがあるから自分がどうあるべきか、どうなるべきかが初めて分かる。
一人でいくらシュートやドリブルを練習して俺は試合で活躍できると思っていても、あなたの選手の価値を最終的に評価するのはチームメイトであり、監督だ。
どれだけ自分が面白いやつだ、イケてるやつだと思っていてもそれを最終的に評価するのは他人だ。
他者からの評価を受けることをせずに俺はできる、俺は凄いと言っている間は現実は1ミリも動かない。
今のオマエに価値なんかないよっていう残酷な評価を受け入れない限りは何も変わらない。
自分の中だけで完結する勉強や読書をシコシコとやるだけじゃ自己満足、オナニーでしかない。
恋愛ゲームでモテるようにはならないし、模擬トレーダーで高得点を出しても実際の投資で稼げるようにはならない。
現実の自分を正確に認識し、改善点を見つけ、問題を解決するために思考して決断して行動する。
身銭を切る、実際に人と会って話す、他者と関わる=自分の外側の現実を動かす。
その結果を他人から評価してもらう。残酷な評価から逃げずに立ち向かう。
若い時は得てして自分には能力があるんじゃないか?俺は本気になれば特別なことができるんじゃないか?魔法のノウハウ、凄い師匠に教えてもらえば大逆転が起こるんじゃないか?なんてことを考えてしまいやすいけど。
あなたを変えるのはあなたの行動と他人からのフィードバックだ。
決して魔法のノウハウや運命の師匠に出会うことじゃない。
それが分からないまま、受け入れることができないまま歳を重ねると、どうして俺の凄さが分からないんだと勘違いしたり、俺には能力があるから大丈夫だと問題を先送りにしたり、他人からの明確な評価から逃げ続けて何も行動を起こさないまま、現実逃避して腐ったまま、漂流したまま何年も時間だけが過ぎ去って人生が詰んでいく。
逆に言えば自分への過大評価や楽観的な考え、万能感を捨てる。
現実を動かす→他者からの評価からフィードバックを繰り返して試行錯誤を重ねていけば人生は着実に動きはじめる。

