一ノ瀬さん。

 

いつもアドバイスありがとうございます。

 

バスケは遊びのメッセージが心に響きます。

私も今は生徒達が楽しそうにバスケをしてるかどうか、

自分がやりたいプレーができてるかどうかに集中してます。

 

たまに彼らは楽しそうにバスケをしていません。

そういうときは私やチームの方針(1on1で崩そう)が重荷になっていたり、

一番はうまくいかないときですね。

 

シュートが入らない、仲間と合わなく良いオフェンスができない、

ミスをする、相手に簡単にやられるなどですね。

 

一ノ瀬さんの言うように上手くならないと楽しめないですね。

 

私自身もバスケが楽しいと感じたのは試合で通用する自分の武器を見い出した、

試合に出れるくらいの調度良いレベルのチームにいてからです。

 

後は中学の部活内のAチーム対BチームでBチームにいたんで

背負うものもなくおもっいきりバスケをしていた頃ですかね。

 

バスケの楽しみかたを忘れてしまってます。本能に従うことでしょうか?

 

自分にボールが回らないとつまらない、シュートが入らないとつまらない、

スクリーンを無視されるとつまらない。

 

これは明らかに本質です。

 

上手くならないと楽しめないというのは本質で、そうすると今の自分でもうまくいくようなレベル、仲間を求めるのが本質ということですよね。

 

うまくいかないと楽しめないという本質はあたっていますか?

 

私はうまくいかないと楽しめないです(すべてがという意味ではないです)。

 

うまくいくようなことを見いだして彼らにやってもらうということですよね。

 

一ノ瀬さんはうまくいかない(何も通用しない)ときでも遊び、楽しめますか?

 

遊び、上達、楽しむについて聞かせてください。

 

 

 

 

遊び、上達、楽しむについて僕の考えをお話させていただきたいと思います。

 

まず、上手くならないと楽しめない。

ではなく、楽しむから上手くなる。

 

です。

 

上手くなるというのは結果にこだわること。

楽しむというのはプレーそのもの(プロセス・過程)を楽しむこと。

 

上手くなるという結果を手放して。

目の前のプレーというプロセスを楽しむ。

 

ここをハッキリと明確にしておきます。

 

失敗する、ミスすると楽しめない。

上手くいかないとイライラする。

 

これは勝とうとしているからです。

上手くやろうとしているからです。

 

 

勝ちたい、上手くプレーしたいという理想と。

ミスや失敗という現実。

 

 

 

そのギャップがイライラする、楽しめない原因になる。

 

上手くなろう、勝ちたい。

 

この気持ちが強くなればなるほど、不安やイライラなどの

雑念が強化されて、プレーに力みや焦りが出て。

 

ますます上手くいかなくなります。

 

 

一方で、プレーを楽しむ。

勝つために努力する。

 

そのプロセス、過程を重視すると。

 

 

目の前のプレー、今この瞬間のプレーに集中すること。

 

ここに焦点が合うから、今の自分のベストを出し切れれば、それでいい。

 

そう思えるようになります。

 

勝とうとする。勝つために努力する。

 

これは言葉は似ていますが前者は勝つという結果に固執している。

後者は努力というプロセス、過程を重視している。

 

この点で大きく異なっています。

 

 

僕が特にそう思えるようになったのは恋愛での経験で。

 

恥ずかしいんですけど、僕、23歳まで彼女がいなかったんですよ。

で21くらいのときからマジでやばいなって思って。

 

 

必死に彼女を作ろうと思ったんですけど、なかなかうまくいかなくて。

 

何でかって言うと結果にこだわってたからなんですよね。

 

こう言ったら嫌われるんじゃないかな。

これ言ったらおかしいと思われるんじゃないかな。

 

そう考えてしまって、会話が不自然でぎこちなくなったり。

 

挙動不審になったり。

 

で、ちょっと慣れてきたら今度は。

 

この子と付き合いてえええええええ!

 

ってなってそのギラギラ、ガツガツした感じが相手にとっては。

 

うわあ、この人必死すぎ、ガッツきすぎ、余裕ないわ。

 

って思われてたんでしょう。

 

付き合うっていう結果に固執してたんですね。

 

 

それからは目の前の相手を楽しませるためにはどうしよう?

今一緒にいるこの時間を楽しく過ごそう。

 

そういうプロセス、目の前のことにフォーカスを当てたら。

 

自然と「この人いいな」って思われたり。

 

会話も弾んだり。

 

 

 

話がちょっとそれましたけど、バスケでも一緒で。

 

特に子どもが遊びでスポーツとかするとき。

 

子どもたちって上手くいくか、失敗するかじゃなくて。

目の前のプレーをただ楽しんでプレーしてるんですよね。

 

成功とか失敗じゃなくて、純粋に目の前のプレーを楽しむ。遊ぶ。

 

だから変な焦りとかイライラとかがないし。

 

子どもはよく吸収力が高いって言いますけど、

そういうことなんだと考えてます。

 

ただ目の前のプレーに集中しきっているから。

 

ミスしたらどうしようとか。

そういう自分の心の中に集中力が飛んでいかない。

 

だから、楽しむこと。プレーそのもの。

 

結果じゃなくて、プロセスにフォーカスすることが大事なんです。

 

で、遊びについてなんですけど。

 

遊びって難しいから、楽しいんだと思います。

 

例えば10分で全クリできるゲームとか。

簡単すぎて速攻で飽きてしまいます。

 

ゲームが面白いのはクリアするまでに難しさがあるから。

 

乗り越えたときに楽しいし、達成感がある。

 

障害があるからこそ、楽しいし、価値を見いだせるんです。

 

僕の中で勝つ、上手くなるとは。

 

誰かを打ち負かすこととか、目の前のプレーで相手を出し抜くことじゃなくて。

 

自分の中にある障害を乗り越えること。

 

で、目の前の選手はその乗り越えるべき障害を提供してくれている存在なんです。

 

 

バスケで目の前の相手が自分の思い通りにプレーをさせてくれたら。

 

シュートは簡単に打てるし、ドリブルで簡単に抜けるし、パスも簡単に出せる。

 

 

でも、それよりも。

 

シュートを簡単に打たせてくれない、簡単に抜かせてくれない。

 

そんな選手と緊張感のあるプレッシャーの中でせめぎ合う。駆け引きをする。

 

その中でお互いの能力が高まっていく。

自分の中の力の限界値が引き上げられていく。

 

 

バスケとは、スポーツとは。

 

乗り越えるべき障害を与えあって、お互いのベストを引き出すもの。

 

なんです。

 

 

 

タイガーウッズが相手のパットを「入れ」って

心から願いながら見るという話をご存知でしょうか?

 

勝ちたいって思ったら普通は外せ!って思いますよね。

 

なのに何で入れって願うかというと。

 

そっちのほうが接戦になって、自分により高い障害が与えられるからです。

 

それを乗り越えたときに真の喜びや達成感があることを知ってるんです。

 

目先の勝ち負けじゃなくて。

相手により高い壁を与えてもらうことでもっとやりがいがある。

 

壁が高ければ高いほど、自分の隠れた潜在能力、本当の力に出会うことができる。

 

 

そう考えたら、失敗とかミスなんてものは存在しないんですよ。

自分を成長させてくれるための障害、壁であって。

 

自分を高めてくれる糧でしかないわけです。

 

それがなくなったら、さっき言った簡単すぎてつまらないクソゲーになります。

 

だから、僕は結果を諦める、手放す、捨てる。

目の前のプロセスを楽しむ。

 

これが大事なんだと思っています。

 

もちろん、チームの雰囲気とかには大きく左右されます。

 

ミスすんな、下手くそ、でしゃばるな。

 

そんなこと言われたら、さすがに楽しむことはできませんし。

目の前のプレーじゃなくて、心の中のミスしないことに集中してしまいます。

 

 

けど、お前、今のプレーは違うんじゃないか?

こう動いたらもっといい攻めができたんじゃないか?

 

そういう言葉は確かに痛いですけど。

 

自分の視野を広げてくれたり。

自分の足りなさを教えてくれる。

 

もっと言えば、自分の超えるべき障害を明確にしてくれる言葉です。

 

そういうことを上手い下手関係なく。

 

お互いに言い合えるような環境、雰囲気を作っていくことが大事なのかなと。

 

下手だから、何も言えないとか。

上手いから、何でも言っていいとか。

 

それだと下手な選手は萎縮してしまうし。

 

上手い選手は現状に満足して、悪い意味で調子に乗るし。

 

 

選手みんなに、それぞれのレベルに合わせて、

少し手を伸ばせば届きそうな超えるべき障害を提示していく。

 

そういう意識で声をかけてあげるといいんじゃないのかなと。

 

僕も上手くいかなかったときとかミスしたときに

楽しめない、イライラすることはありますけど。

 

以前と比べたら、だいぶ減りました。

 

というかほとんどないかもしれません。

 

 

それは今のチームメイトが同じ目線で

なんでも言い合える関係っていうのもありますし。

 

 

プレー中に出てきた課題をどうすれば超えれるかっていう

ところを考えるのが楽しいからです。

 

 

例えば、フリーなのにパスが来ない。

 

確かに自分目線では楽しくないかもしれません。

 

けどその選手の目線に立てば、もっと周りを見れれば

もっといいプレーができるってことです。

 

スクリーンを無視されたとしても。

 

それはその選手があえて無視して相手の裏をかこうとしたのかもしれない。

逆にスクリーンを使って攻めたほうが効率がいいっていうのを

分かってないのかもしれない。

 

そこでコミュニケーションをとって話を聞けば。

 

その選手はもっと上手くなるかもしれないし。

自分とのイメージのずれが小さくなっていくかもしれない。

 

結果にこだわってるとどうしても見方が自分本位、

自己中になってしまいがちなんです。

 

パスが来なかった、スクリーンを無視された→自分は楽しくない。

 

これって自分の目線でしか見れてないってことです。

 

 

そうじゃなくてお互いが高め合っていくためにはどうすればいいか?

 

お互いのイメージのずれという障害をどうすれば乗り越えられるか?

 

そういう相手も含めた目線で考える。

 

そうするとお互いが議論を交わすことができて。

 

コンビネーションも洗練されていきます。

 

間違ってほしくないのはこれは自己犠牲とか

自分を抑えるっていうのではないってこと。

 

相手の目線で考えるあまり、自分を我慢するっていうのとは違って。

 

お互いを最大限高め合うために、自分をドンドンぶつけていく。

腹を割って話す。

 

確かに遊ぶ、楽しむということは大事なんですけど。

 

一歩間違ったら、ただのなれ合いになって。

全体の意識が低くなってしまいます。

 

できないこと、ミスすることはチームが乗り越えるべき障害。

自分たちを成長させてくれる壁なんですよ。

 

 

そこを何でできないんだよって考えるよりも。

 

どうすればできるようになるか?

 

できない理由じゃなくて、できる理由を探したほうが。

 

お互いに成長できるし、よっぽど生産性が高いです。

 

どうしたら自分がもっと高いレベルに行けるか?

どうしたらチームが強くなっていくのか?

 

 

上手くいかない、ミスしてしまうときって。

 

確かに苦しいし、難しい。

 

けど、それをどうやって超えていくかに向き合うときって

僕の中ではすごい楽しいんですよね。

 

で、超えれるか超えれないか、成功するか失敗するかじゃなくて。

 

ただ、そこに向き合うこと。

 

そのプロセスにフォーカスを当ててるから。

 

変にイライラすることもないし、焦りも少なくなってきた。

 

なれ合いとか、傷のなめ合いとかじゃなくて本当の意味で楽しめる。

 

お互いを高めていける。

 

 

結果じゃなくてプロセス。

 

遊び、楽しむっていう本当の意味は与えられた困難に

打ち勝つために努力する過程そのものにある。

 

僕はもう今ではミスとかにこだわりません。

 

今、自分が出せる力を最大限出し切れたか?

チームメイトの良さを引き出すためにはどうすればいいか?

 

そこだけ考えてバスケをするようにしています。

 

そういうふうに考え方を変えると、また見える世界が変わってくると思います。