何を諦め、何を諦めないか?
この選択は生きていれば何度も訪れるし、年を取るにつれてシビアになっていく。
今、働いている会社で成長して上を目指すのか?転職して環境を変えるのか?
会社員として生きるのか?投資家として生きるのか?起業するのか?
あるいはそれらを並行してやっていくのか?
バスケでプロを目指すのか?アマチュアのまま楽しむのか?
上手くなりたいと思うのか?今のレベルのままでも十分だと考えるのか?
恋人とそのまま付き合い続けるのか?
別れてもっと魅力的な女性を探すことを選ぶのか?
あるいは恋愛に対するリソースを削減して他のことに使える時間とお金を増やすのか?
大人になるにつれて、年を取るにつれて自身の限界・現実が身に染みるようになる。
子どもの頃はプロ野球選手になるって言ってても大人になるつれて俺には無理だと思う人がほとんどでしょう。
転職したら、会社を辞めたら収入が減る、なくなるから無理だ。今のままが一番だ。
俺には今の会社以外で生きていくだけの能力はないだろう。
能力が高い選手を見て、俺があんなに上手くなることはない。
今のレベルでバスケをそれなりに楽しめたらいいじゃないか。
もっと顔がタイプで性格の良い子と付き合いたいけど、そんな高望みできるような男じゃないし
今の彼女でも十分満たされる、幸せだ。
私は現状のままでいること、更なる上を目指さないことが
間違っている・悪い・劣っているということを言いたいのではありません。
何を諦めて、何を諦めないのか?
これは人によって違いますし、その人が決めたことなら、
その人が満足しているなら周りの人間がとやかく言う資格はない。
私がここで言いたいのは
諦めた選択肢はその期間を取り戻すことができない
ということ。
例えば起業家という選択を諦めれば、当然起業に必要な能力・スキルが磨かれることはありません。
別にバスケが上手くなれなくてもいいか、と今までと同じ練習量・練習のやり方をする。
その間の成長スピードはこれまでと変わりません。
自分が諦めている期間に諦めなかった他人、これをやるぞ!と覚悟と決意を固め、
決断を保留せずに持てるリソース(時間・金・労力)を全力投球していた他人は
どんどん成長していき、成功に近づいていく。
そして、後になってやっぱり今のままじゃダメだ、変わりたい、別の人生を生きたい。
あのとき諦めずに頑張っていればと後悔しても諦めていたときの時間は返ってこないし、
そのフィールドで何も力がついていない・成長していない状態から再度スタートしなければならない。
努力すれば夢は叶う、諦めなければ報われる。
その声が取り上げられるのは成功者だけ。
その裏には数えきれないほどの努力が報われなかった屍が並んでいる。
だから、さっさと諦めて別の道に進みましょう。
別のジャンル、フィールドで戦いましょうというのは一理ある。
ただし、それはどこかで能力を積み上げた者に当てはまる論理なんじゃないか?
例えばニートのまま仕事の能力を全然身につけてこなかった人間が
どこか別のフィールドに行った途端に仕事ができるようになることはない。
陸上の為末大さんは確かに短距離からハードルに競技を変えて成功したが、
それは短距離で努力して培ってきた能力があったからだろう。
実際に結果を残している人間、成功している人間は諦めなかった人間。
オマエには無理だよと言われてもやり続け、失敗や挫折、不安や焦りを跳ね返してやり続けた人間。
対して何の能力も身につけないまま、成長もしないまま俺には無理だ、
別の環境なら俺は生きるはずだと早々に諦めた人間には何が残っているのだろうか?
他に輝ける居場所があるのだろうか?結果を出す能力が備わっているのだろうか?
別の場所でリターンを得ることができるのだろうか?
何の能力も身につけないまま、成長してないまま、自分に甘い言い訳を探して
途中で諦めた人間が何を得られるのか?そんな人間を誰が必要とするのか?
人間は得てして自分を過大評価しやすい。
俺には一人で何かを成し遂げられる能力がある。
俺にはまだ時間がある。他の選択肢がある。何回でもやり直せる。
しかし、本当にそうだろうか?
オマエに本当にそれだけの能力があるのか?
時間が、選択肢が残されているのだろうか?
大した人間でもないのに、何の能力もないのに数度の失敗で投げ出し、
たった数か月でやり切らないまま諦めるのは自分を過大評価してるから、
俺ならこのままでもいつか成功できると思っているからじゃないだろうか?
そんなヤツが諦める、諦めないの発想をして何の意味があるのか?
それで後からやっぱり諦めなければよかったとか、別の道を選んでいたらと
考えても結局、行きつく先は満足できない、絶望した人生なのではないだろうか?
だってそのための力をつけることを諦めたんだから、保留したんだから。
そして何の力もつけないまま、誰からも必要とされない無価値のゴミ人間のまま人生が詰む。
諦める、保留するということはその選択肢を捨てることだ。
捨てた選択肢は時間が経てば経つほど後から取り返すことができない。
一回、諦めたけどやっぱり今のままじゃ満足できないからもう一度やり直そう。
そう思ったときに諦めた時間が長いほどそれを取り戻すのは難しい。
下手したらもうやり直しが効かない状態になっているかもしれない。
俺はあのときやり切った。
あれだけやって結果が出ないならしょうがない。
そう心から思えるくらい思考と行動を積み重ねたのなら、
例え諦めてもその力、経験が別のフィールドで輝くこともあるだろう。
諦めたことに対する未練も小さくなって別の選択肢にも満足できるだろう。
しかし、中途半端に努力しただけ、数回の失敗で諦めた、短期間で辞めた。
そんな人間が諦めて別の選択肢を選んでも結局、地獄を見るだけじゃないか?絶望するだけじゃないか?
レベルの低い自身の思考と行動を棚に上げてあのとき諦めていなければ、とか
あのとき別の選択をしていればと未練タラタラのまま満足できない人生を送っていく。
諦めることも諦めないことも選べず決断を保留してくすぶり続ける。
やり切ることをしないまま、スッパリ辞めることもしないまま
ダラダラ、チマチマと時間やお金、労力を細切れにして消費して永遠に結果が出ないまま
俺にはまだ時間がある、選択肢がある、やり直せると停滞したまま時間だけが過ぎていく。
何の能力も身に付かないまま、やり切ることも覚えないまま、成長しないまま。
そんな人間が年を取ってオッサンになったとき、
何が残っているというのか?誰が必要としてくれるのか?
私はこのことに気づくまで逃げていた。逃げまくっていた。
ラクなほうに、自分に都合がいいほうに、弱い自分を正当化できるように。
そんな日々の中、ある日こう思った。
あ、このままだったら俺はゴミ人間のまま人生終わるなと。
もちろん、人によって何を諦めるのか?何を諦めないのか?は違う。
何をいつからやり始めるのか?どれだけやるのか?
やり続けるのか?辞めるのか?もう一度再スタートを切るのか?
それは自由だ。
ただ、諦めたその先に本当に自分が満足できる未来があるのか?
妥協しているという自覚があるのなら、それを受け入れ続けることができるのか?
諦めて決断を保留して本当にこの先の人生を生き抜く力がつくのか?
これは頭に入れておかないと自分の人生に満足できなまま、
あっちこっちへフラフラしたまま時間だけが過ぎ去っていき、
無価値のまま誰からも必要とされないゴミ人間のまま人生詰むぞ。
だから、やると決めたのならやり切れ。
それで成功した・成果が出たのなら最高だし、例え失敗した・諦めたとしても
潔く諦めることができる、未練・後悔も残らない。
別の選択肢でも生きていける力、強さが身についているはず。
