最小の動きで最大の力を発揮する。
無駄な動きをなくすことで動作の質を上げる。
脱力とか武術系のサイトとかもいっぱいありますし、
そんな理論がけっこう流行ってるのかなと思います。
でも、僕個人としてはこういうのにハマるのは危ないと思ってて。
ドライブするときに足を一回引いてからだと遅くなるからその動きをなくすとか。
股関節、膝を抜いて動くと速くなるとか。
僕も一時はそういうのにハマった時がありました。
けど何回やっても上手くいかなくて。
頭で身体に命令すればするほど。
動きがギクシャクする。スムーズに動けない。
頭が身体のことでいっぱいになってグチャグチャになる。
いちいち意識しながら動けるか!
っていうのがやってみて最終的に感じたことでした。
さっきのドライブの例で言うと。
一回、足を引いたら遅くなるってやつです。
でも、子どもがかけっこするときヨーイって言ったら自然と足を引いて前かがみに構えますよね?
で、そのとき子どもって意識して足を引くとか考えてないと思うんです。
ただ、身体がそっちのほうが早くスタートを切れるって言うのを知ってて。
身体が早く動き出すっていうのに自然と反応して、無意識のうちに足を引く。
NBA選手とかサッカー選手とか。
身体の動きをいちいち意識したり、コントロールしながらやってない。
一回、足を引いてますよね?
足を一回引くとか。タメをつくる。
それって決して無駄な動きじゃない。それをなくせば早くなるって単純な話じゃない。
頭で身体を操作しようとするっていう思考が結局動きを遅くさせる。
為末大さんも
実感としては自らの行動は自らで決定しているとしか思えないけれども、
実は体が先に動いていてそれを意識が説明をしているという可能性があって、
素人ながらいろんな人の本を読んで私はどちらかというとその立場に近い。
つまり意思はやってしまったことの説明づけの為にあって、
意思が自らをリードしているわけではないということだ。
http://japan-indepth.jp/?p=17951
って言ってます。
バスケやサッカーに限らず、全てのスポーツ。
運動っていうのは無意識が一番早いし、強いし、安定します。
子どものころ鬼ごっことかドッジボールとかで遊んでいた時。
ただ、何も考えず夢中で没頭していたはず。動きの無駄とか考えてなかったはず。
でも大人になるにつれて、意識が、思考が働くようになって。
「フォームを変えれば上手くいくんじゃないか?」
「身体の使い方を意識すればいいんじゃないか?」
「上手い選手はこうやってるから真似したほうがいいんじゃないか?」
下手に頭を使うようになるから、余計身体が動かなくなる。
フォームやテクニックにやたら詳しい人が上手くなくて。
そんなの一切意識しないって人ほど上手い。
そのロジックは下手な選手は頭で身体を操作しようとして上手い選手は身体の無意識な動きに身を任せているから。
身体って本来は無意識、直感で勝手に動いてくれます。
でもそのシステムに頭からの命令っていう異物が混じるから。
身体は上手く動くことができなくなる。
バスケの本やサイト身体の使い方とか、フォームとかが細かく解説されてますけど。
あれって為末さんが言うように後付けにすぎないんですよね。
人間の身体って動くときに無意識が先に来るはずなのに。
意識を無理やり先にもってこようとするからおかしくなる。
自分の身体を使うときに
膝の使い方はこう。腰の高さはここ。腕の力を抜いてとか。
いろいろ工夫しているとそこに楽しさを感じるときもありますけど。
それは回りまわって逆効果になります、僕の経験上。
例えば力を抜いてシュートを打つ。
これを意識してると確かに初めはシュートが入るようになるんですけど。
力を抜けばシュートが入るようになるって意識しすぎてしまって。
身体の自然なリズムが崩れて、結局入らなくなる。
どのくらいの力で打てばいいのか分からなくなる。
それで今度はまた別の悪い部分を直そうとする。
力を抜いたり、身体の使い方を変えたりしたらそれまであった
何らかのデメリットが一時的に消されるけど。
一部分に対する意識が強くなって今度はまた別のデメリットが強まる。
木を見て森を見ないって言葉がありますけど。
どこか一部分を意識していたら、それが治ったとしても
全体が崩れてまた別の部分に悪いところが出てくる。
そのイタチごっこを続けてるうちに。
身体の自動的、無意識な調整力がドンドン鈍っていって。
操り人形みたいなギクシャクした動きが身についていってしまいます。
結局、無意識の動きが一番強いし、速いし、楽なんです。