あのコーチは感覚を言語化できてて凄い!

凄く分かりやすい言葉で説明してくれる!

言語化してくれているから再現性がある!

 

バスケの指導動画のコメントなどを見ているとこんな言葉が並んでいる。

最近のスポーツ界では言語化が重要だと至る所で言われている。

 

しかし、バスケが上手くなるために必要なのは言語化ではなく感覚を磨くこと。

むしろ、言語化はあなたのバスケを下手にします。

 

 

言語化することでプレーが言葉に縛られる

 

まず、言語化することであなたのプレー・動きが言葉に縛られてしまいます。

 

シュートの打ち方はこうだ、ドリブルはこうやれ、パスの出し方はこうだ、このステップ、このフットワークを使え。

このスキルを使ってシュートを打て、ドリブルで相手を抜け、味方がドライブしたときは、ボールがポストに入ったときはここに居ろ、そこから動くな。

 

テクニックやコツ、動き方、フォームや身体の使い方、プレーのやり方を細かく解説した情報を見た選手たちは分かりやすい、これを知らなかったから俺は上手くいかなかったのかと言語化されたものを崇拝し、その通りにプレーしよう思考・意識する。

 

その思考、意識があなたからスムーズな動きを奪い、強み・長所を殺し、反応を鈍らせ、バスケを下手にする。

 

 

選手個人によって身体能力、経験、頭脳、クセ、得意なプレー、苦手なプレーは異なります。

選手たちは自らのプレー経験から再学習、再構築を繰り返し自らに最適なフォーム、身体の使い方、プレースタイルを感覚で掴んでいく。

 

選手にはそれぞれの個性、特性があり、上手くプレーするための感覚は異なるしその感覚は本人にしか分からないのです。

 

フォームや身体の使い方を意識するほど不要な力みや力の抜きすぎが生まれたり、身体全体の連動が崩れる、途切れてスムーズに動けない。ギクシャクしたロボットのような動きになる。

 

教わったテクニックやスキルを必死に練習しても、それはあなたに適合していないかもしれない。

NBA選手のプレースタイル、得意なムーブは選手によって違うように実際に試合では使わない、使えないスキルを練習しているかもしれない。

 

テクニックを丸覚えして目の前の相手と駆け引きしていないから止められまくる、コートの状況を判断できていないから余計な動きが増えてミスになる、次のプレーが遅れる。

 

プレーによって、選手によって、チームによって最適な動きは異なるのに「これをやれ、これをするな」という指示に縛られて苦手なプレー、強みを発揮できないポジションを自ら選択して実力を発揮しきることができない。

誰がやっても変わらない陳腐化したプレーしかできなくなる。

 

 

私も周りの選手からドリブルのとき、シュートのときに意識してることやコツは何かあるのか?とたまに聞かれることがありますが何も考えていないと答えます。

 

これは意地悪で言っているわけじゃない、プレー中は本当に何も考えていない。

確かに後からそれを言葉で説明できることはできる。

 

しかし、言語化してしまうことで私の感覚が崩れるのが怖い。

こうやって身体を使っている、このタイミングで仕掛けている、こうやってパスを出しているってことを言葉にしてしまうとそれに自分が縛られて柔軟で直感的なプレーができなくなる。

 

 

あなたの才能・センスが失われる。

 

感覚を完璧に言語化することは不可能です。

 

プロの選手やスキルコーチが

 

「こんな感じで」

「腕や脚の使い方はこうで」

「このスキル、このステップを使って」

 

なんて言葉で説明しているのを見かけるが、それはあくまでその選手自身の感覚であったり、外から見た形を後からそのまま言っているだけに過ぎない。

 

それがあなたにそっくりそのまま当てはまり、上達に繋がるということはほとんど、いや全くと言っていいほどない。

 

それはあくまで本人にしか分からない繊細な領域であり、後付けで言語化されたものを真似しようとしても異なる血液型を輸血すれば拒絶反応を起こすようにあなたの身体には適合しない。

 

あなたが持っている独自の感覚が他人の言葉によって破壊され、本来持っているセンス・才能・個性を発揮することができなくなる。

 

言語化された理論を教わった選手はなんとなく分かった気にはなります。

しかし、その理論がコート上で必ずしも起こるとは限らないし、効果的とも限らない。

 

例えば、味方のドライブに対してコーナーで待機しろ、リングから離れろと指示しても(もちろんそれが効果的な場面もあるが)中で合わせたほうが良いかもしれない、スペースが狭くなってもリバウンドに絡んだほうが得点に繋がるかもしれない。

 

バスケにおいて全く同じ状況というのは二度と再現されず、敵と味方の動き、チームメイトとの連携、敵チームの弱点、試合展開によって最適なプレーは変わる。

 

その全てを前もってパターン別に予習しておくのは不可能だし、選手が自分で感じ、プレーを創造していく必要がある。

これは絶対に言語化することができない、その選手のセンス・感覚によって行われるもの。

 

言語化して分かりやすくすることでそれを実行する事が目的となってしまい、コート上で実際に起こっていることを選手が自分で感じ、個性・強みを最大に生かして効果的なプレーを選択するという力が養われなくなってしまう。

 

言語化によって選手は型にはめ込まれていく。

型にはまった選手は、その型通りにプレーをする事しか出来なくなってしまい、自身の感覚・センスが鈍り、プレーを創造することができなくなり、誰がやっても変わらないバスケをするだけになる。

 

指導者が1から10まで具体的に教えようとすればするほど、この傾向は強まっていきます。

 

 

 

スキルの陳腐化

 

もし、仮にバスケの全てが言語化されて誰もがそのスキルを再現できるようになったとしたら。

全ての選手が同じ技術を簡単にコピーできるようになり、誰もがプロレベルになれるでしょう。

 

しかし、現実がそうならないのはトップ選手の技術は絶対に言語化できないからです。

 

言語化できる、再現性があるということは誰がやっても変わらないということ。

誰がやっても変わらない陳腐化されたスキルを覚えたところであなたは本当にバスケが上手くなるのでしょうか?試合で活躍できる選手になるのでしょうか?

 

音楽家や画家は言語化された曲の作り方や絵の描き方を知っていて、それをなぞっているからヒット曲を作れるのでしょうか?人を感動させる絵を描くことができるのでしょうか?

 

違いますよね?

 

彼らは考えているのではなく、感じています。

独自の感性、アイデア、インスピレーション、経験から紡ぎ出していて簡単に真似できない、彼らにしか表現できないものだからこそ鳥肌が立つような、時には感動して涙が流れるような曲や絵を作ることができる。

 

バスケも同じで言語化されたスキルやフォームをなぞっても、それは他の誰でも出来ることであり差はつきません。

 

誰にも真似できない、自分だけの感覚・個性・センスを磨いているからバスケは上手くなる。

 

言葉にすることで確かに「伝えること」はできますけど、「上達する」ことはない。

 

私が具体的なテクニックやコツ、フォームといった情報を書かないのは技術やノウハウを言語化することはナンセンスだから。あなたを下手にすることはあっても、上手くさせることはないから。

 

プレーを繰り返すなかで「感覚」をより良くしていく、磨いていく、更新していく。

自身の個性、センス、才能を爆発させて自らプレーを創造すること。

 

これが上手くなるために必要なことだし、バスケの持つ楽しさ。

 

誰かの言われた通りにプレーするなんてツマラナイ。

調教された子犬みたいで気分が悪い。

 

言語化をありがたがるやつはバカ。